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戦車駆逐大隊 (アメリカ軍) : ミニ英和和英辞書
戦車駆逐大隊 (アメリカ軍)[せんしゃくちくだいたい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦車 : [せんしゃ]
 【名詞】 1. tank (military vehicle) 
: [くるま]
 【名詞】 1. car 2. vehicle 3. wheel 
駆逐 : [くちく]
  1. (n,vs) extermination 2. expulsion 3. destruction 
大隊 : [だいたい]
 【名詞】 1. battalion 
: [たい]
 【名詞】 1. party 2. company 3. body (of troops) 4. corps
: [ぐん]
  1. (n,n-suf) army 2. force 3. troops 

戦車駆逐大隊 (アメリカ軍) : ウィキペディア日本語版
戦車駆逐大隊 (アメリカ軍)[せんしゃくちくだいたい]
戦車駆逐大隊(せんしゃくちくだいたい、英語:Tank Destroyer Battalion, 略TDB)とは、第二次世界大戦中にアメリカ陸軍が運用した部隊である。戦車駆逐大隊は高い機動力を生かした側面攻撃によって敵機甲集団の進撃を破砕することを唯一の目的として編成された独立部隊であり、軍団もしくは司令部直轄の戦略予備戦力として通常は戦線後方で待機するはずであった。しかしながら戦争が進むと特定の師団と共に行動することが一般的になり、その運用形態も中隊や小隊規模に分割されて機甲部隊の補完・歩兵部隊の支援・機動火砲としての火力支援など本来のドクトリンとは異なるものになっていった。高い対戦車能力を持つ戦車が配備されるようになると専門の対戦車部隊を持つ必要性は低下し、軍の規模縮小もあって戦車駆逐大隊は戦後短期間のうちに姿を消すこととなった。
== 対戦車ドクトリンの策定 ==

第二次世界大戦が勃発すると、機甲部隊の集中及び迅速な突破を旨とするドイツ軍の「電撃戦」戦術は各国の軍関係者に大きな衝撃を与えた。既に大規模な機械化部隊を有する陸軍にとっても、その影響は注目に値するものであった。1939年のポーランド侵攻におけるポーランド第二共和国の崩壊、1940年のフランス侵攻におけるフランス陸軍及びイギリス海外派遣軍の敗北を通じて、不十分な対戦車能力しか有さない部隊が大規模な機甲部隊の攻撃を防ぐことはほとんど不可能であるという考えが力を持つようになった。フランス戦に関する同時代の研究では十分な対戦車兵器を持たない歩兵部隊は戦車の攻撃に対して非常に脆弱であるということを示しており、連合側に立って参戦する可能性があったアメリカでもこの問題に対して関心を払うようになった。
1941年4月、将来の対戦車戦闘に焦点を当てた検討委員会が開かれた。早急な対策としては歩兵師団の下に対戦車大隊(''Anti-tank Battalion'')を編成することであったが、この方法では対戦車部隊を有機的に運用することは難しくなってしまう。会議で広く支持を集めた案は敵の機甲部隊の出現に広く対処できるように軍団もしくは軍によって指揮される機動対戦車部隊を創設するというものであったが、問題はどの兵科がこのような部隊を扱うかであった。防御的な性格を持つという点では歩兵、機動的な対処部隊という点では騎兵、大型の砲を扱うという点では砲兵がそれぞれ候補として挙げられた。興味深いことに機甲部隊がこのような部隊の指揮権を主張することはなかったが、これは彼らの攻撃的な性格にそぐわないと考えたためであろう。指揮権をめぐる問題についてジョージ・マーシャル将軍は5月に諸兵科の複合的な部隊であるとみなす事で解決を図った。同時にアンドリュー・ブルース中佐を長とする対戦車計画委員会(''Anti-Tank Planning Board'')を創設し、レスリー・マクネア准将に対し早急に対戦車部隊を編成するよう命じた。
歩兵師団や各種支援部隊から部隊を引き抜き、それぞれ3個の対戦車大隊を有する3個の対戦車「集団」が早急に編成された。部隊に与えられた任務は「素早く・積極的に捜索を行い、敵機甲部隊が陣形を整える前に攻撃する」というものであった〔McNair, quoted in Denny, p. 12〕。8月には220個の対戦車大隊を創設するという計画が持ち上がった。これは陸軍の規模として55個師団を想定しており、各師団に配備される部隊が55個・軍団もしくは軍規模で運用する部隊が55個・総司令部(GHQ)の下で戦略予備に置かれる部隊が110個の合計220個大隊である。1個師団あたり4個の割合で対戦車大隊を創設するというこの大それた案に従えば全軍の1/4が対戦車任務につく計算になる。
最初に編成された9個の部隊は牽引式のM3 37mm砲及び75mm砲半装軌車に搭載したM3 75mm対戦車自走砲を装備し、1941年夏に実施されたルイジアナ演習に参加した。ルイジアナ演習には機甲師団も参加しており、大規模で複合的な機械化部隊の行動能力および戦闘能力を試すとともに戦術・作戦面での問題を洗い出すことになっていた。一方で対戦車部隊側からすれば、機甲集団の攻撃を司令部直轄の対戦車部隊の機動的・集中的運用によって食い止めることが可能であるという対戦車ドクトリンを確立させるチャンスであった。マクネアは司令部直轄の対戦車部隊を編成し、同時に各歩兵師団が有する対戦車大隊についても対戦車戦闘を主眼に置いた運用をするよう命じた。結果からいうと、ルイジアナ演習において対戦車部隊は機甲部隊の攻撃阻止に成功した。この結果について機甲部隊側からは司令部の運用の不手際、あるいは不公正な判定によるものだとする意見が出された。しかしながら対戦車部隊が機甲部隊の進撃を阻止したことは事実であり、また司令部直轄の対戦車部隊よりも師団が有する対戦車大隊の方がより戦果を挙げたことで新ドクトリンは普遍的な性質を有していることが実証された。
対戦車部隊は11月に実施されたカロライナ演習に参加し、これらを通じて対戦車部隊の運用は成功であると判断された。11月27日、マーシャルはブルースの下で戦車駆逐戦術射撃センター(''Tank Destroyer Tactical Firing Center'')をフォート・フッドに設立し、合わせて総司令部の下に53個の対戦車大隊を新たに編成するよう命じた。また、より強そうな語感を持つ「タンク・デストロイヤー(Tank Destroyer)」という単語がこの時点から用いられるようになった。12月3日、既存の対戦車大隊は総司令部の指揮下に再配置された上で「戦車駆逐大隊(''Tank Destroyer Battalion'')」に改編された。
新たな対戦車ドクトリンについては1942年6月に策定された野戦教範18-5の「戦術的運用、戦車駆逐部隊」で言及されることとなった。同教範ではドクトリンについて「戦車駆逐部隊の目的は1つ、敵戦車の撃破である」と述べており、旺盛な攻撃精神を持つことを繰り返し強調している。戦車駆逐大隊は小規模の防御部隊に分割するのではなく完全な大隊として運用されることを前提にしており、敵機甲部隊の危機に直面するまで予備戦力として留め置かれる。また機甲部隊の運動に対応するための機動能力の必要性についても同じく強調されており、この事は戦車駆逐車両の設計において生存性や火力よりも速度や馬力を重視する原因にもなった。
完全に独立した部隊であるという戦車駆逐大隊の性格は軍内部の人種問題に関してある副作用を生むことになった。戦争省アフリカ系アメリカ人からなる部隊を創設するという方針を立てていたが、陸軍では朝鮮戦争の時期まで人種による部隊の区分が残っていた。陸軍省は正当な割合で黒人部隊を創設するよう陸軍に迫り、既存の2個の大隊が黒人部隊に改編された。1942年には新たに4個、1943年にも4個(計画では6個)の大隊が創設された。いくつかの部隊は実践に参加し、その1つである第614戦車駆逐大隊(同大隊は第795および第846戦車駆逐大隊を原隊とする)C中隊第3小隊は黒人部隊として初めて大統領部隊感状を授けられた部隊となった〔詳しくは''The Employment of Negro Troops'' , Ulysses Lee. US Army, 1966を参照。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「戦車駆逐大隊 (アメリカ軍)」の詳細全文を読む




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